朝市に買い物に出かけるのは、子供の頃からの楽しみだった。 僕の住んでいた町の朝市で、露店を出している店の人たちは、ほとんど僕の父と仲良しだった おかげで、子供の僕が市場内をウロウロしていると、みんなに声をかけてもらえた。 たまに、リンゴやオレンジをくれる優しいおじさんもいた。 (好物のバナナは、トルコでは当時とても高価だったので、滅多にもらえなかったけれど・・) 以前、里帰りしたときのこと、僕は久しぶりに朝市にいってみた。 子供のころに顔馴染みだった友だちが、その兄の雑貨店の手伝いをしている姿が見えた。 「おう、儲かってるか?」と声をかけてみると、彼はニコニコして 「もちろん!お前は元気か?」と答えてきた。 するとその時、その雑貨屋のとなりに店を構えていた八百屋にお客さんが来た。 ところが、その八百屋の店員の姿がない。 「にんじんを〇キロ欲しいんだけどね」というそのお客さんに、僕の友達は「オーケー」と答えて、 八百屋の代わりに、にんじんを袋詰めにして代金を預かり、お客さんの荷物バッグの中に きちんと詰めてあげて持たせてあげていた。 「八百屋がトイレに行ってる間、お客が来たらよろしくと頼まれたんだが、もう20分近くも 戻ってこないよ。長いウ〇コだな」といって笑った。 その日の昼頃、近所のチャイハネ(喫茶店)に顔を出すと、さきほどの友達が 近所の男たちとチャイを飲んでいて、「こっちに来いよ」 と呼ばれてチャイをご馳走になった。 皆で、のんびりと世間話などをしていると、その友達の兄(雑貨店のオーナー)がやってきた。 挨拶もそこそこに、彼は弟に向かって、「今朝、となりの八百屋の手伝いをしていただろ。 お前、勝手にああいう事をするなよ」と不機嫌そうな顔で文句を言った。 弟は、「トイレに行ってる間、店番を頼むと言われただけだよ」と答えた。 兄は、疑わしそうな顔で「本当か? トイレにしちゃ随分長かったじゃないか。 お前は大体、俺とあの八百屋が仲が悪いことぐらい知ってるだろ」とまだ文句を言う。 すると、弟が突然、顔を真っ赤にして立ち上がって怒鳴った。 「いいか?兄さん?俺は、仲が良い相手だろうが、悪い相手だろうが、 トイレに行っている間、店番を頼むと言われてるのに、 断るような人間じゃない!絶対に手伝うよ!」 僕が、まあそんなに興奮しなくてもいいじゃないか、と諌めようとしたとき、 隣のテーブルにいた全く見知らぬ男が、弟に向かって 「そうだよな!俺はお前に賛成だぞ!」 と(よけいな)相槌をはさんできた。 すると、『乗せられるとどんどんテンションが上る』 というトルコ人の特徴を絵に描いたように、弟は拳をぎゅっと握りしめ、 「これは相手が誰であっても、変わらないことなんだ! トイレに行っている間、ちょっとお願いするよ と頼まれればな! 例えそれが、アメリカ人であっても、ドイツ人であっても、ギリシャ人であっても、 中国人であっても・・・・・・・・」 僕は、周りの人たち(皆、いい年をした大人)の、「うん、そうだそうだ」と頷く顔を見ると、 吹き出しそうになるのに耐えられず、こっそりと席を立ってトイレに向かった。 子供のように純粋な面を持つ、素朴な人たち。思いきり笑っているか、喋っているか、 泣いているかあるいは怒っているか、とにかく喜怒哀楽が激しい人々。 そして他人の事であっても、放っておくという事ができず、すぐに首を突っ込んで、 お節介を焼きたくなる血筋。 愛おしくもあり、煩わしくもあり、 時々懐かしくてたまらなくなるのが、トルコ人でありトルコそのものでもあり・・。 僕は、自分自身が得たもの、あるいは失ってしまったものについて、ぼんやりと考えてしまった。 トイレを出て店内に戻ると、友達はまだ「・・アフガニスタン人だろうが、オーストラリア人だろうが・・etc」 と 続けていて、ようやく回りの人たちから、 「お前もういいよ!しつこい」と止められ、ガハハハ・・と笑われていた。 チャイハネは、また、いつもののどかな空気に戻った。 僕も彼らの片隅の椅子に戻り、チャイのお代わりを頼んだ。 page1 <2 <3 4 <5 |
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